休日の朝というのは心地良い。
少し早起きしたその時刻、普段ならばバリバリ夢の中だ。
いつもより時間を掛け、ちょっぴり豪華な朝食を用意した。やはり鉄のフライパンで焼いたホットケーキは美味しい。隠し味ではないが、ヨーグルトを大さじ1杯加えたのがよかったのだろう。材料が乳化され通常よりもっちりとした食感に仕上がっていた。外はさっくり中はもっちりなホットケーキを堪能し、あたたかな珈琲を口に含む。立ち上るアロマと香ばしい口当たり。うーん、アフリカンなええ香りや。鳴子君もそう言うであろう味わい。食後の余韻に浸っていると、時刻は8時を回っていた。そろそろかな。僕は椅子から立ち上がった。
「昼飯食いに行くかー」
自転車乗りは腹減んねん。鳴子君もそう言っている。
お腹が空いたのでご飯を食べに行きましょう。もちろん自転車で。
前置きが長いとか気にしない。
前回のは途中で終わっているのでは? とか言われたけど気にしない。あの後無事帰りました、それ以上の出来事は無く何を書いても蛇足だったのであの回はあれで終わりである。あの後下りですっ転んだとか、崖からダイヴしちゃったかとかは皆さんの想像次第なのです。
今日はちょっとパンクに注意しなければならない道を通るので、ホイールはコンチネンタルのゲイタースキンを装備したアクシウムで走る事にします。
行きつけの中華飯店へ向けてペダルを漕ぎましょう。
まずは自宅からすぐ近くの峠を越えていきます。
23号線をまっすぐ南へ進むと伊勢神宮に行きつきます。
伊勢神宮の駐車場の前を通り、更に道なり進むと山道に入ります。
この道をまっすぐに走ると高麗広という集落があり、その先に剣峠という峠があります。まずはそこを目指します。
ちなみにこの道の入り口には宇治神社という神社があります。この神社には足の神様が祀られています。健脚の神様ですので自転車乗りなら是非とも足を運びたいところ。野口みずきさんもアテネ五輪の前に参拝に来たそうです。
僕は今年の正月に二三回行っていいるので今回は前を素通りです。
それにしても今日は自転車が軽い! いつもより500gは軽く感じるぞ!
高見山を登っておいちゃん貧脚も少しは鍛えられたらしいな。それとも年始の参拝が今頃聞いてきたかな?
と思ったら、なーんだボトルに水が入ってないだけでした。
でも大丈夫。今から走る道には湧水があるのです。
青い丸看板が目印。
確か、銀明水だったか、銀麗水だったか。ともかくありがたくボトルに汲みます。
ラブウォーター、ラブぎんめいすい。ヤメロー! ヤメロー! 僕のスマホは防水機能付いてないんだぞ、ビシャビシャ跳ねるでない。
水がはねてグローブが濡れましたがボトルに水を補給できました。気を取り直して進みましょう。
山道に入ってしばらくは緩やかなアップダウンが続きます。
この山はバードウォッチャーの方がよくいますが今日はいつもより多いようです。道が狭いので対向車が来ることもしっかり意識しながら走ります。
峠に近付くほど木々は深く、自然に潜り込んで行くかのようです。
木々に囲まれて少し薄暗い道。ひやりとした空気は肌に心地よく、流れる川の音が涼やかです。木々の枝葉の間から差し込む光が少し幻想的に見えます。
心洗われるとはこのこと。
だがしかし、マイナスイオンをシャワーのように浴びても気を緩めていけません。
剣峠はパンクの名所(と勝手に呼んでいる)。
サイドカットの危険が常に潜んでいます。以前この峠でパンクした方の修理を手伝いましたが、その方もサイドカットしてました。
路面からもマイナスイオンがっ! でも油断してはいけません。剣峠の名物はサイドカットなのです(と勝手に言っている)。
山道自体はそれなりの斜度に九十九折りが続く、短いながらもなかなか走り甲斐のある道です。パンクに強いタイヤで練習するには丁度いいですね。
パンクせずに無事に山頂に到着しました。
はい、記念撮影。インナーローで登ってきましたが、見栄を張ってアウタートップにしてパシャリ。
暗くて全然伝わりませんねぇ。
山頂には剣峠のモニュメント。
剣峠の由来は山々の稜線が剣の様に見えたとか、この近くにある剣岩だと言われています。剣岩は徒歩で山に入らないと見に行けないので、またの機会に見に行きましょう。
そして、
気になるものが……。
佐々木小次郎が山犬を斬った刀を洗ったと言われます。中央の石は巌流島を表しています。
ええー? ほんとうにござるかぁ?
仮に佐々木小次郎が刀を洗ったとして、伝承に語られる彼の刀は物干し竿と称される刀。1m近い大刀を洗うのは大変そうですね。
剣峠を下った山の反対側は南伊勢町五ヶ所浦です。目的地までもうしばらくあるのでいったん補給食を。
先日入荷しました、グリコのフルーツたっぷりのケーキバー。以前まで取り扱っていたナンバーバナナが廃番になって代わりの新商品です。
カロリーは152calと少なめな印象ですがビタミンやカルシウム、鉄分などの栄養素が一本にたっぷり入っているそうです。こればっかり食べていた栄養過多になりそうですね。
一口。
うまいっ、テーレッテレー!
美味しい、実際美味しいケーキバーでした。しっとりして歯ごたえもあり、バナナをはじめとした果実の豊穣の味わい。そこにレーズン爽やか酸味がアクセントになっています。
ただ、走りながら食べるには不向きな印象。休憩しながらの補給にはぴったりだと思います。
剣峠を反対側へ下りましょう。
来た道と同じくテクニカルな九十九折りが続きます。道の荒れ具合は伊勢側も南伊勢側も同等なので、下りでかっ飛ばすのは危険です。
この日は鹿様も現れました。ワイルドな道ですね。
しかし麓まで降りると長閑な田園風景が出迎えてくれます。
良き田舎の風景と言ったところでしょうか。気持ちよく走れる道です。
道なりに進んだ突き当たりを左折し志摩方面へ。
南伊勢という地域。剣峠の山頂の池に剣豪の名前。なんで佐々木小次郎なのか。
ここへ来てそんな疑問が脳裏をかすめます。
というのも南伊勢町五ヶ所浦は愛洲久忠(別名愛洲移香斎)という剣豪の出生の地なんですね。
ですので、小次郎池ではなく久忠池だった納得できたと思います。
まぁ、愛洲久忠さんはあんまり有名ではありませんが。室町時代の人ですがあまり資料が無いので実際のところがよくわからないからでしょうか。
どんな事をしたかというと、剣術である陰流を作った人。陰流の始祖です。
陰流と聞いてもピンと来ない人は多いと思いますが、新陰流と言えば聞いたことがある人もいると思います。
新陰流は陰流を基に、上泉信綱が開いた流派です。上泉信綱は戦国時代の兵法家で、剣聖と称えられるほどの剣の達人でした。
その上泉信綱が愛洲久忠に教えを受けたことがあるそうなのです(もしくは久忠の息子)。
つまり愛洲久忠は剣聖上泉信綱の師匠。これってすごい。
上泉信綱もすごいですが彼が仕えていた長野業正という武将もすごい。
戦国最強と言われている一人武田信玄がご近所の大名でよく攻め込まれましたが、信玄は業正が生きている間、ついに彼の領土を攻め落とす事は敵わなかった。
つまり、武田信玄が勝てなかった男です。
その業正が最も頼りにした家臣の一人が上泉信綱。
業正の死後、長野家は信玄に攻め滅ぼされてしまうのですが、その時に信綱は武田家に士官の誘いがあったそうです。信綱はこれを断り、彼の才を惜しんだ信玄は「信」の一字を信綱に与えたそうです。元の名前は秀綱でしたが、名を信綱と改め、信綱は諸国を巡る武者修行へと旅立つのでした。
思考が脱線しまくって、歴史ロマンに思いを馳せ、長野家の城である箕輪城(群馬県)に行ってみたいな思っていながらペダリングしていると、
すわっ、城の気配がっ!?
気付いたら鳥羽ではありませんか。
途中パールロード通らず167号線を走ったとか、伊雑宮の前を通ったとか、鳥羽警察署近くの交差点を曲がると行ける神明神社には女性におすすめな石神神社がありますよとかそんなことは華麗にスルーする。
鳥羽水族館の向かい側、中之郷駅の裏側にはトンネルが。
そこを抜けると、
鳥羽城跡です。
写真は三の丸。
鳥羽城は戦国最強(なんかこの肩書き持つ人多いな)の水軍、九鬼水軍を率いた九鬼嘉隆が築いた城です。
写真では分かりにくいですが、大手門が海側に面しています。築城当時は桟橋が大手門から突き出していたそうで、そこに軍船を停められたのだとか。
水軍運用、海の道を意識したお城ですね。
個人的にこのお城の面白いと思うところは、天守閣が海側からは黒く、山側からは白く塗られていたというところ。この特徴から鳥羽城は別名二色城や、錦城と呼ばれています。海側を黒く塗った理由は、海の魚を驚かさないためなのだとか。自然に優しいお城ですね。
残念ながら現在は天守閣は無いので錦城を雄姿を見る事は敵いません。こりゃあ本丸跡で錦城への想いを馳せ、歴史ロマンに浸るしかありませんな。
石垣を棚田のようにして重ねています。一つ一つは低い石垣ですが、こうして縦に連なっている迫力がありますね。
自転車を担いで階段を上ってみましょう。階段を上った先は広場があります。今は公園になっています。
石垣の上から。
広場から更に本丸跡に行く事ができます。
本丸跡に残されている石垣は築城当時の物が残っているそうです。
うーん、確かにね。ダイナミックでワイルドだぜぇ。
上の二枚は本丸跡の石垣です。自然石をそのまま積み上げた野面積みという工法です。城郭の石垣としては比較的初期の工法です。
自然の石をそのまま使うということはどうしても隙間が出来るので、敵が登り易いという欠点がありますが、水はけがいいので大雨などで石垣が崩れる事は少ないというメリットもあります。
綺麗に加工した石を使った石垣は、石の角度や位置など、積み方を誤ると重心が歪んで崩れやすくなります。非常に高い技術が必要となる難しい工法なんですね。
その点野面積みは石を積む角度がそれほどシビアではないので安定しやすといいます。
つまり。
藤堂高虎と加藤清正の石垣はすごいってことですね。
熊本城は震災で崩れていない石垣でも、表面がうっすらと膨れて丸みを帯びているものがあります。「はらみ」と呼ばれる状態で崩れそうな石垣の特徴です(震災の揺れに耐えての事なので、それはとてもすごいことなのですが)。修復工事が無事に進むことを祈るばかりです。
こちらは棚田状の石垣。本丸跡の石垣とはずいぶん違います。
綺麗に積まれていますが、当時の物ではなく改修した物でしょうね。
本丸跡で記念撮影。パシャリンコ。
しまった! インナーローのまま撮っちまった! 貧脚がばれるぞっ。と思ったけどドライブトレインは反対側に隠れてよく分からないからばれないよね。
さぁて、妄想天守に想いを馳せようか。と思ったけど、脳内再生されるのは小学校の運動場であった。この本丸跡、2009年まで鳥羽小学校の運動場だったそうです。なんて贅沢な運動場なのだ。
ここから見る風景は絶景ですね。
写真奥の島は答志島。関ヶ原の合戦で西軍に味方した九鬼嘉隆は、合戦後この島で自刃しました。答志島には九鬼嘉隆の首塚と胴塚があるそうです。
鳥羽城周辺は観光スポットが多いので色々見て回れそうですが、お城でお腹いっぱいになったので先へ進みましょう。気分は満たされましたが胃袋は物理的にすっかすかです。
鳥羽城の前の道、42号線を道なりに二見方面へ向けて進みます。途中鳥羽インターの前を右折し進み、二見シーパラダイスや夫婦岩で有名な二見興玉神社の前を通ります。
そして二見町中を走り、そろそろ伊勢に近付き五十鈴川の橋を渡るその手前にある中華飯店ワスケが今日の目的地です。
自宅から23号線沿いに行けば10kmほどの道のりをうっかりその5倍ほど走ってしまいました。方向音痴って怖いですねー。
やはりこの店のスーパーチャーシュー丼は最高だな。
まるで肉の城郭。だがこの程度、俺の敵では無い。食らい尽くしてくれるわ。
デカ盛り系のお店、と思いがちですが味もとても美味しい。お値段も良心的でボリューミー。いつ来ても賑わっていて活気に満ちたいいお店です。
お腹いっぱい食べてからのライドは大変苦しいので、無理はしないようにしましょう。
僕もかつてスーパーチャーハン大盛り(チャーハン大盛りを超えたスーパーチャーハンを更に超えたチャーハン。まるでどこぞのスーパーサイヤ人のようだ)を食べた後は苦しかったものです。
とは言えここから自宅までは近いので気にせず食べましょう。幸いスーパー系は大盛りでなければ問題なく食べきれる量です。
お腹を満たした後はおやつを何を食べるか考えながら帰宅です。
この後は別に何もありませんでした。
何を書いても蛇足になるのです。
道ですっ転んだか、お代りにスーパーチャーハンを食べたかは皆さんの想像にお任せします。
ちなみに、鳥羽城は桜も綺麗なお城です。春に行ってみるとまた違った魅力があっていいですよ。